top of page

浄土宗 光照山龍香院
宗忠寺

宗忠寺について
開基宗忠について
開基宗忠は天文17年三河国幡豆(みかわのくにはず)に生まれる。
父長隆と共に徳川家康の幕下に属して功をあげ、天正18年関東入国の際、領地として武州都築群(都田村・池辺)1500万石を賜る。
その後、家康の第四子松平忠吉が、武州忍城主10万石(埼玉県羽生市)に封ぜられた際、家康より筆頭家老に任命された。
宗忠は幼少の君主忠吉(松平薩摩守・12歳)を助け、藩政の立て直しに寝食を忘れて努力し、江戸幕府内を流れる河川の洪水を抑えるため、利根川上流の第一期治水工事の大業を成し遂げた。
文禄三年(1594年)当時領主小笠原宗忠に依って建立された。
開山は西連社雲誉上人。

縁起
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起についての記念碑

弁財天
現世利益の女神。財福の神として「弁天」とも呼ばれる。七福神では唯一の女神。 音楽と弁舌を司るインドの女神で、福徳を授ける神さまです。

御朱印
萬年元年9月11日 <江戸時代幕末>

縁起
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起についての記念碑
1/4
縁起
文禄3年(1594年)に佛恩を感謝して池辺の地に当寺を建立した。
建立当時は、父の名をとり長隆寺と称していたが、宗忠の没後は寺号を宗忠寺と改める。
慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦のあと、宗忠は3万石を賜り犬山城主となる。
慶長12年(1607年)宗忠は関東に召されて佐倉城主2万8千石、慶長13年9月常陸の国笠間城主3万石に封ぜられたが、老年に至り池辺村に閑居、元和3年(1617年)8月15日に没して当寺に葬る。
江戸時代末期に入って右小池のほとりに弁天堂と稲荷社があり門前には地蔵堂があった。
また、江戸時代には寺子屋を経営しており、万延元年(1860年)には御朱印七石を受けました。
bottom of page